2016.09.05


            

            悲しみの向こう側に

あれは小学校4年生の頃でしょうか、授業が終わった土曜日の午後のことです。(私の小学校の時はまだ土曜日の午前は授業がありました。)友人のM君と教室の掃除を終え、今日はM君宅で遊ぼう、と二人で話し合いM君宅へ向かって帰り始めました。しかし途中で空が急に曇りはじめ激しい雷雨になったのです。私たちは怖くなって途中の駄菓子屋さんで休憩することにしました。その頃は町の所々に駄菓子屋さんがあり、おばさん達が店番をしていました。お金はあまり持っていなかったのでお菓子は少ししか買えませんでしたが、結構楽しかったことを覚えています。30分ほどして雷は通り過ぎましたが、雨は止まず激しく降っていました。私達二人は、今日はもう遊べない(当時はテレビゲームやスマホなどはなく子供たちは皆屋外で遊んでいました。)と観念し、私は雨の中自宅へ走って帰りました。店のおばさんの話によればM君もしばらく店にいた後自宅へ走って帰ったようです。しかしM君の自宅までの間には福知山線の踏切があり、当時の踏切は警報機も遮断機もありませんでした。大雨で視界が悪かったのでしょうか、ちょうどそのとき福知山行きの列車が通りがかり、M君はその列車にはねられてまだ10歳の短い生涯を終えてしまったのです。私は最後まで一緒に遊んだ友人としてお葬式で送辞を読んだのですが、涙と鼻水で何を話しているかわからなかったようです。数時間前まで一緒に遊んでいた友達が突然いなくなってしまったのです。なぜ彼は死んでしまったのでしょうか、彼は運が悪かったのでしょうか。この世のことはすべて決められており運命だったのでしょうか。
 しかしたとえ運命であっても起こった出来事には必ず意味があるはずです。彼は明るく元気で皆に愛され、お父さんお母さんからとても愛されていました。また素直な子で笑顔を絶やすことがなく、家族にとってかけがえのない存在だったと思います。幼い子供を亡くした親の悲しみは計り知れません。しかし彼の死は、残された家族がその悲しみを乗り越えた時、家族をより高い次元に住む人達に導いたのかもしれません。
 



                     

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