2017.03.17


       
開業時の苦しい思い出


 病院の勤務医をやめ、奈良の三条通りで内科の診療所を開業したのは20年ほど前のことでした。開業時はまだ勤務医の気分が抜けず、開業したら患者さんが毎日たくさん来院して大変だろう、などと甘いことを考えていました。
 実際に開業してみると、患者さんはほとんどなく、暇を持て余していました。奈良の三条通りでしたのでテナント料も高く、毎月家賃を55万円支払わなければなりませんでした。またリース料が月50万円、従業員の給与やその他雑費で100万円程度、合計約200万円が毎月の出費ですが、収入は1日10人足らずの患者さんでしたので、月100万円にも届きませんでした。毎月赤字を埋めるために土曜日は以前勤めていた病院で当直し、休診日の水曜日は違う病院でパートとして働いていました。週のうち休めるのは日曜日の午後だけという状況でした。当直明けの朝日がまぶしく自分の無力さを痛感しました。2年近くそのような状況が続き、
「いつまでこのような状況が続くのだろうか?もうこれ以上は無理だ、来月診療所を閉めよう」
と思ったとき、その月の収入が黒字になっているのに気づきました。その時以来収入が黒字に転換しやっと落ち着いて診療できるようになりました。今でも水曜日は病院で働いていますが、収入を確保するためではなく、関連施設の入居者様の容態が悪化した時、すぐ入院できるようにと思って病院と連携するためにお手伝いをさせてもらっています。
 その時の経験から、商売の難しさ、お金を稼ぐことの困難さ、お金の大切さなどが身に染みてわかりました。文句ばかり言っているサラリーマンがどんなに楽な仕事であったかが分かったのです。
 お金は汚いものと思っている人やお金持ちは不正をしている、ケチだなどと思っている人がいますが、自分で事業をすればこのような考え方は完全に間違っていることが分かると思います。人間というものはやはり痛い目に合わなければ真実が見えないのかもしれません。




            いくたびも 雪の深さを 尋ねけり
                            正岡 子規



                                  

▲ページトップに戻る